最終更新日 2024年4月1日 by egetpr

「プロパンガス会社の歴史が知りたい」
「日本にプロパンガスがもたらされた経緯が気になる」
「プロパンガス会社の変更を現在考えている」

日本は1860年に江戸時代が終わって、明治へと時代が新しく動き始めました。
それまでは300年以上もの間、鎖国をしていたことで閉ざされた時代とも称されていたわけです。
火を起こすにも火打石を使用しており、電気もありませんでした。
ところが世界ではすでに近代的な時代を迎えていて、イギリスやアメリカでは1790年にはすでに蒸気機関車や蒸気船でさまざまな国に移動をしていたわけです。

蓄電池のニーズが高まっているからこそ正しい情報が重要

1850年にアメリカから大きな戦艦が来日

1850年にアメリカから大きな戦艦が来日したのを、多くの方がご存じでしょう。
通称・黒船と言われる戦艦で、ペリー総督が率いる大きな団体でした。
これが日本を鎖国から開国へと推し進める一因となり、現代社会へとステップを進めるに至ります。
わずか10年で300年もの間続いた江戸時代と徳川幕府はなくなり、再び天皇は主導権を持つ皇国へとなったわけです。
1860年に正式に明治時代が幕あけとなり、イギリスとアメリカから一気に近代的な技術が伝来をするようになりました。
電気から蒸気などの技術とともに伝わったもの、それはプロパンガスです。
いまでは都市ガスが配管で敷設をされており、自宅ではボンベを備える家庭も少なくなりました。
ところが1980年代頃までは、まだ大都市圏でしか都市ガス網がなかったため、地方ではプロパンが基本だったものです。
イギリスでは1800年にはすでに各家庭で使われていて、炊事や風呂に活用をされていました。
そこでここでは、このプロパンガスの会社の起こりと歴史に焦点を合わせて解説をしていきましょう。

【関連】プロパンガス会社検索【まちがす】-料金相場と地域最安値
https://www.machigas.com/

プロパンガス会社が世界で初めて誕生したのはロンドン

世界で初めて誕生したのが、イギリスのロンドンです。
当初は石炭の製造・販売を実施する会社で、オックスフォード地方にある炭鉱の管理もなされていました。
時代は産業革命期を迎えており、毎日たくさんの石炭を製造して国内はもちろんのこと、ドイツやイタリア・さらにはアメリカ大陸にも輸出をされていたわけです。
しかし、石炭は化石燃料であるため、炭鉱を採掘していくと次第に手に入る分量も数が少なくなりました。
会社では別のエネルギー源がないかと模索をされているとき、液化天然ガスを偶然に見つけることに成功をします。
液化天然ガスの場合、圧縮をすることでわずかな分量でもたくさんのエネルギーを蓄えることが可能。
たとえば平均的な4人家族であれば、2リットルボンベで約半年間分の火力を蓄えることが可能です。
石炭で換算をすると約150トン分となるため、効率のいい新エネルギーとなりました。
1850年に会社では石炭から天然ガスの使用へとシフトチェンジをされており、そこから一気に専用のボンベ作りも開始をされます。
それがプロパンガスで、各家庭のキッチンや浴室にセットをする形で備えることになりました。

日本に伝わったのは1900年の大正時代

日本に伝わったのは1900年の大正時代で、政府による配給でした。
まだ鉄が貴重な資源であったこともあり、ボンベは大変な高級品で一般家庭にはまだ普及をしませんでした。
最初に設置をされたのは東京にある御所で、日本人で初めてガスで沸かしたお湯に身体を浸けられたと言われています。
その後、都内の高級ホテルや迎賓館にも備える事となり、おもに入浴と炊事で活用をされました。
1920年ごろになると家庭用設備となって、プロパンガスは一気に身近なアイテムとなります。
街中でも自治体の認可を得たガス販売店が多く誕生をしており、各家庭に新製品を卸す作業をなされたわけです。
戦時中になると、家庭では1週間で2立方メートルしか使用ができないこととなるため、再び天然ガスは生活から切り離されることになりました。
現在のスタイルで自由にプロパンガスを利用できるようになったのは、戦後の1950年以降からです。

1980年までは多くのご家庭で利用をされていた

各民家に約5本程度のガスが設置されている光景を見たこともあるでしょう。
以前は1本で対応をしていましたが、湯沸かし器や給湯器・コンロなどの自宅内設備が増加をしたことで、使用するボンベの数も増えたわけです。
1980年までは多くのご家庭で利用をされており、月額料金を各会社に納めて提供を受けていました。
アフリカなどから大型タンカーで液化天然ガスを輸入しており、それを一度タンク内にすべて入れて蒸留をします。
さらに小分けのプロパンガスに注入をして、一般消費者のもとに届けられるわけです。
日本では1990年以降はインフレ整備が進み、その一環で都市ガス網も普及をしました。
いまでは自宅のコックをひねるとすぐにガスの提供を受けることができます。
そのためプロパンを目にする機会は大幅に減少をしました。
今では過去の遺産とも言われており、若い方ではどんな設備なのが知る方も少ないものです。

まとめ

大手ガス会社ではプロパンの歴史を伝える展示コーナーもあるため、もしお子さんが知らないという場合は、一度訪れて見学をしてみると良いでしょう。
日常生活に欠かすことができないガスの供給スタイルを学べる、いい機会となること間違いなしです。